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 2017/11/9
【大観が追い求めた富士の「無窮の美」】

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 2月25日(日)まで今泉記念館アートステーションにて、企画展「日本美術院創立120年展-横山大観から大矢紀まで-」が開催されます。

 本展の主役は日本画の大家・横山大観の富士山です。日本美術院を語る上で欠かせない存在の大観は日本美術院の創立に参画し、岡倉天心の1周忌には天心の志を継いで同院を復興させ、常に中心的役割を果たしました。そんな大観ですが、「大観といえば富士」という言葉があるほど、富士山を画題とした作品が有名で、生涯におよそ1,500点も描いたといわれています。
大観は「私は富士山をよく描く。今でも時折描いています。おそらく、今後も描くことだろうと思います。一生のうち富士山の画を何枚描くことになるか、それは私にもわかりません。といっても、自分から進んでいつも富士山ばかり描くというのではありません。富士山、富士山といつでもたくさん持ち込んで来られるからです。
こんなわけで今までたくさんの富士山を描いてはいますが、まだ富士山に登ったことは一度もありません。ただ一度だけ富士山の周囲をめぐったことがあります。
それにしても、私は富士山が好きです。あの山容がとても好きです。春、夏、秋、冬によってその山容が異います。春夏秋冬ばかりではありません。朝、昼、夜でまたおのずから異ってきます。いや時々刻々異うといった方がいいかも知れません。」(『大観自伝』講談社学術文庫1981年)と語っており、この言葉からは当時の大観の描く富士山への大変な人気ぶりがうかがえます。

 日本美術院は文明開化といった西洋化が進む明治時代にあって、日本の伝統美術の優れた価値を認めた天心が、更にそれを発展させ古典研究の上に絵画の新境地を開くべく創設されました。このように“新しい日本画”を開発するにあたり、天心指導のもと日本の古典絵画から諸派の絵画まであらゆる表現を学び、また中国の水墨画や西洋画技法まで様々な表現を模索します。
そのような中「空気を描く手法はないか」と天心から問われた大観は、輪郭線を用いず水墨の濃淡によって空気や光を表現する朦朧体(もろうたい)を生み出します。日本画の伝統である線描を用いないこの手法は、印象派に通じる西洋画の視点を持った新しい日本画といえるでしょう。朦朧体は、その後の主流な日本画の手法となりました。
 
 水で濡らしただけの水刷毛で画面を湿らせ、そこに墨を置き空刷毛で広げる朦朧体。ぼかしが画面に広がることにより、空気や光の自然描写のみならず、東洋的な精神世界も表現されています。
大観は「富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くことだ。心とは、ひっきょう人格にほかならない。それはまた気品であり、気迫である。富士を描くということは、つまり己れを描くことである。(中略)
富士を描くには理想を以て描かなければならぬ。私の富士も決して名画とは思わぬが、しかし描くかぎり、全身全霊をうちこんで描いている。(中略)
富士は、いつ、いかなる時でも美しい。それは無窮の姿だからだ。私の芸術もその無窮を追う」(『私の富士観』朝日新聞1954年)と富士山への心情を語っています。
 また、「古い本に富士を『心神』とよんでいる。心神とは魂のことだが、私の富士観といったものも、つまりはこの言葉に言いつくされている。(中略)富士は、そういう意味でも、たしかに日本の魂だと、その時も思ったことだ。」とも語っていますが、大観にとって富士は日本人の心、日本の象徴でした。

 本展では、大観晩年の威風堂々たる富士の作品を展示致します。日本画の重鎮となった大観が追い求めた“無窮の美”を、この機会にぜひご覧ください。

 
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