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【シャガールだけの青「シャガール・ブルー」の世界】

生誕130年記念 シャガール・ブルーの世界展

 11月5日(日)まで今泉記念館アートステーションにて企画展「生誕130年記念 シャガール・ブルーの世界展」が開催されます。

 シャガールはピカソと並び20世紀を代表する巨匠画家で、ピカソと同様にフランスで活躍しました。二人は同じ時代を生きたライバルでもあり、シャガールはピカソによって創始されたキュピスムに影響された時期もあります。実は毒舌家だったシャガールはピカソに対して厳しい批評をしていますが、二人は仲が悪かったわけではないようです。

 シャガールはピカソのパトロンでもあった画商ヴォラールに依頼されて、サーカスをテーマとした版画集を制作します。熱烈なサーカス好きだったヴォラールはシャガールのために、頻繁にサーカスの席を予約したといいます。また、幼少時シャガールの故郷にサーカスが来ると、その夢の世界に彼は魅了されていました。

 シャガールといえば甘美な夢の世界を想い浮かべる人が多いでしょう。妻ベラを一途に愛したことから「愛の画家」としても有名です。また、パリで当時最先端の芸術に触れたことで開花した華やかな色彩から「色彩の魔術師」とも呼ばれています。一見すると明るい人生に思えますが、ユダヤの家庭に生まれたという出自、故国ロシアの革命、第一次世界大戦、第二次世界大戦という二つの世界大戦を経験、ナチスのユダヤ人迫害から逃れるためにアメリカへ亡命、終戦を待つことなく最愛のベラを感染症により亡くしてしまいます。そして、ユダヤ人虐殺やベラとの別れといった悲しみを乗り越え、フランスに戻りフランス国籍を取得、再婚するなど激動の時代を生きた波乱の生涯でした。

 シャガールの言葉です。
「サーカスは最も悲しいドラマだと私には思われる。何世紀にもわたって、それは人々の娯楽や喜びを探し求めた者の、このうえもない鋭い叫びであった」(サンケイ1990年2月4日掲載)
「わたしにとって、サーカスは、小さな世界のように過ぎ行き、溶けていく魔術的な見世物である。騒がしいサーカスがあり、隠れた深さをもつサーカスがある」「すべての演劇的催物のなかで、もっとも悲劇的である」(サンケイ1989年4月9日掲載)
「私は、一生の間にグロテスクなサーカスを見てきた。あの男(ヒトラー)は世界を恐怖される轟音をひびかせる。理想的な世界にはつながらない革命は、私はサーカスのようだと思う。私は悲しみの世界から逃げ、物乞い、慈悲のために物乞い、サーカスの馬のような豪華な姿で、これらすべての厄介な思考や悲しみの感情を隠し、ピエロのようにパフォーマンスし人々を魅了したい」(1966年)

 本展のテーマである「シャガール・ブルー」とは、シャガールが使う独特の青色のことを言います。シャガールにしか出せない色と言われ、神秘的でとても印象的な青色。社会的混乱や時代背景が彼の制作に大きく影響したことは確かでしょう。しかし、シャガール・ブルーは人生の悲しみ、苦しみ、喜び…全てを優しく包み込んでくれる深い慈愛を感じることができます。そこには、彼の普遍的なテーマ、ユダヤ人としての誇り、妻への愛、故郷への想いが常にあったからではないでしょうか。世界中どこにいても彼が描いたのは恋人、結婚といった愛、生まれ育った村の風景や幼少時の思い出といった主題を、生涯を通じて繰り返し描いています。

 本展ではここでしか観ることのできないシャガールの油彩画とテンペラ画を展示致します。油彩画は重厚感ある深い色彩のシャガール・ブルーを、テンペラ画は塗り立てのような鮮やかな発色の輝くようなシャガール・ブルーをぜひご覧下さい。

【最後の浮世絵「新版画」の魅力】

 6月14日(水)まで今泉記念館アートステーションにて企画展「浮世絵から新版画までの軌跡展」が開催されます。

 本展での浮世絵とは、木版画による浮世絵版画のことを指します。一般的に浮世絵といえば、江戸時代から明治時代に日本で制作された木版画を指すことが多く、有名な葛飾北斎『冨嶽三十六景』、歌川広重『東海道五拾三之内』は浮世絵の一つ、名所絵になりますがこちらも浮世絵版画になります。
 浮世絵は木版画以外にもあり、例えば直接紙に描いた一点物の作品は肉筆浮世絵となります。このように浮世絵にも色々ありますが、浮世絵の”浮世”とは元々は「現代風な」「当世風な」といった意味を持っており、浮世絵で描かれるテーマはその時代の暮らし、風俗、流行などが基本となります。要するに浮世絵とは、当代の風俗に関して描く風俗画を指します。

 一方、新版画とは江戸時代の浮世絵を復興させようと版元である渡邉庄三郎を中心に、大正から昭和時代にかけ発展した木版画です。従来の浮世絵版画と同様に、絵師・彫師・摺師による専門的分業制作を生かしながらも、時代に合った芸術を生み出そうと新たな技法を用いて、精緻で美麗な完成度の高い作品が数多く生み出されました。

 渡邊と組み木版画を早くから制作していた伊東深水、そして伊東深水の木版画に影響を受けて洋画家から版画家になった川瀬巴水、渡邊に迎えられた吉田博らの活躍によって新版画が確立されました。

 新版画は「浮世絵のリバイバル」として海外、特に米国において衝撃をもって受け入れられ、当初は輸出用に数多く制作されました。マッカーサーや精神分析学者のフロイトらが新版画を入手していたと言われています。最近でも、スティーブ・ジョブズやダイアナ妃といった著名人が、新版画の愛好家として知られています。

 海外で一大ムーブメントを起こした新版画ですが、その魅力の一つに、木版画とは思えない程の写実性と、色彩の豊かさがあります。例えば、江戸時代の木版画に比べると吉田博や川瀬巴水は、摺りの回数が圧倒的に多く、海外の人たちに水彩画と間違えられることも。
 また、吉田博の特徴である多色摺りは、何枚もの版を使用し何回も摺り重ねることにより立体感を表現し、同じ版木を用い、色を替えて摺ることによって時間や気候の変化を表現した同版色替の技法は、西洋の印象派を連想させます。
 川瀬巴水も同じ色を何度も重ねることで色に深みを出し、摺り跡を残すざら摺りなど、新しい表現方法を開拓していきます。

 このように西洋画を感じさせる新版画ですが、実は新版画家の多くは日本画の鏑木清方の弟子です。鏑木清方の系譜を辿っていくと、江戸時代の浮世絵師・歌川国芳に行き当たります。
 「最後の浮世絵」と言われた新版画は、日本の伝統的な浮世絵版画の高い技術を受け継ぎながらも、西洋画の視点を取り入れた「新しい木版画」です。「日本と西洋の融合」とも言える新版画と、そのルーツである浮世絵。

 本展では有名な広重、国芳の浮世絵や、新版画の中心的画家だった伊東深水、吉田博、川瀬巴水の作品を展示致します。世界に誇る優れた日本美術を、ぜひご覧ください。

【竹久夢二の代表作『黒船屋』でみる最愛の恋人】

2月26日(日)まで今泉記念館アートステーションにて企画展「複製版画に魅る名画展」が開催されます。

版画には大きく分けて、オリジナル版画と複製版画があります。それらは全く違った行程で制作されるものです。オリジナル版画とは、作家が版画を制作する目的で下絵を描き、版の制作、刷り、最終のチェックに至るまで全行程を作家自身が行うもの、あるいは作家の監修により制作された作品をさします。

一方、複製版画とは版画にすることを目的とせずに描かれた作品を原画として、作家や著作権継承者の許可を得て版画の手法を用いて制作された作品をさします。複製版画は原画を描いた作家が版画制作に関わることはなく、版画工房のみが制作を行います。

オリジナル版画との決定的な違いは作家の自己表現としての版を使用した表現ではなく、第三者が制作する版画という部分です。
しかし、一般の印刷物とは異なり、原画を忠実に再現しており、また、身近に楽しめるといった魅力があります。

 企画展「複製版画に魅る名画展」では、竹久夢二の名画『黒船屋』の複製版画をご覧いただけます。
『黒船屋』は夢二の最も有名な作品です。
描かれている女性のモデルは、当時の夢二の恋人である彦乃(しの)といわれています。

1914年、夢二は12歳年下の彦乃と出会います。交際を彦乃の父親に反対され、二人はお互いを「山(彦乃)」「河(夢二)」と呼び合う秘密の暗号で、手紙を交わしました。やがて二人は京都へ駆け落ちし、一緒に暮らし始めます。
しかし、幸せな時間は長くは続かず、1918年の暮れに彦乃は肺結核で倒れ、彼女の父親に連れ戻され入院し、そのまま他界。傷心の夢二が描いたのが『黒船屋』です。

黒猫は夢二自身といわれ、それをしっかり女性が抱きかかえています。夢二は死ぬまではずすことのなかった指輪に「しの」と名前を刻みました。最愛の恋人彦乃は生涯、夢二の心に残る女性となりました。

『黒船屋』を描いた1919年、夢二は初めて伊香保を訪れます。以来、この地を度々訪れるようになりました。
上毛三山(榛名山・赤城山・妙義山)の中で、最も女性的な優しさを持つ榛名山。四季折々に美しく変化する雄大な榛名山の山並みは、夢二の心を包み、その稜線に夢二は「山」と呼んだ彦乃の面影を重ねていたのかもしれません。晩年には榛名湖の湖畔にアトリエを構え、数多くの美人画を描きましたが、背景には必ず山が描かれていました。
この機会に、複製版画で『黒船屋』をぜひご覧ください。

【ピカソを見出した伝説の画商ヴォラール】

 11月6日(日)まで今泉記念館アートステーションで企画展「ピカソ展 知られざる最高傑作」が開催され、ピカソ初期の最高傑作の一つと言われている『サルタンバンク・シリーズ』をご覧いただけます。
 なぜ「知られざる」なのか…それは、当時少数のみ刷られたもののほとんど売れることなく、放置されていた作品だから。そこで登場するのがヴォラールです。

 アンブロワーズ・ヴォラールは19世紀末から20世紀初期のフランスで最も重要な役割を果たした大画商であり、近代美術の立役者と言われています。それはセザンヌ、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、ルノワールら、今では巨匠と呼ばれている画家たちを、その類稀なる審美眼と先見の明を持って、まだ無名の頃から支援したことや、画家の評価を上げる(商品価値を上げる)高いプロデュース力からです。彼がいなかったら、無名のまま終わっていた画家もいると言われている程です。
 彼は法律を学び学位も取得しましたが、その後画商に転向しました。1893年に当時美術市場の中心地だったパリのラフィット街に自分の画廊を持ち、最初にマネの大きな個展を開催した後、ゴーギャンやゴッホの展覧会を開催しました。
 また、彼の偉業はセザンヌの回顧展を開き、まだ知られていなかったセザンヌを「近代美術の父」にした点です。ピカソはセザンヌに大きな影響を受けていますが、ピカソが観たセザンヌの個展もヴォラールが開催したものです。ピカソはセザンヌの絵を収集していましたが、セザンヌの絵を扱っていたのもヴォラールの画廊。ヴォラールがいなかったら、ピカソの画風も大きく変わっていたかもしれませんね。

 ピカソもヴォラールに才能を見出された画家の一人です。ヴォラールは早くからピカソを認め、1901年にはピカソ初の個展を開催しています。
 そして、1913年に長い間放置されていたピカソの「サルタンバンク(旅芸人)」をテーマにした一連の銅版画に芸術性を見出し、原版を買い取り、版潰れを起こさないようメッキ加工した上で、『サルタンバンク・シリーズ』と題し250部の限定版として売り出したのです。

 当初刷られたのはわずか30部程で、ピカソが大部分を友人に贈呈しましたが、今ではほとんどが美術館所蔵となり市場に出ることはありません。今回の企画展「ピカソ展 知られざる最高傑作」の展示は、1913年に新たに刷られた貴重なもので、ヴォラールがいなかったら世に出ることはなかった、まさに“知られざる最高傑作”です。
 今日このシリーズはピカソの版画を代表する作品であるとともに、版画史上においても不朽の名作として高く評価されています。
 本展は9点もの『サルタンバンク・シリーズ』を一同にご覧いただける貴重な機会です。この中には、ピカソ初めての本格的な版画である『貧しい食事』や、ピカソ初めての挿絵となった『2人のサルタンバンク』もあります。この機会をお見逃しなく!

【第2回 道の駅 南魚沼 鮎釣り大会 募集開始!】

昨年、待望の復活を遂げた「道の駅南魚沼 鮎釣り大会」

今年度も募集開始です。

清流「魚野川」は、南魚沼産コシヒカリを育む土壌にとって、
そして南魚沼に住むわたしたちにとって、欠かすことのできない自然です。

鮎釣りを通して、南魚沼の自然を満喫してください。

要綱はコチラ

申込用紙はコチラ

ハチミツの話

 一匹の蜜蜂が一生をかけて集めることのできるハチミツの量は、僅かティースプーン1杯分。蜜蜂の集めるハチミツがそんな僅かな量だとご存知でしたか?

 現在日本で流通しているハチミツの93%が輸入品で、そのうち80%が中国産と言われています。国産ハチミツ、ましては、地元産ハチミツはとても貴重な品物です。
 ハチミツは時間が経つと白く固まりますが、これを見て「純粋のハチミツではないのではないか」と質問されることがあります。
 しかし、これは結晶化といい、逆に純粋である証拠です。結晶化の速度や形状は、花の種類によって違い、例えばアカシアのハチミツは結晶しにくい特長があります。また、白く固まっても品質への影響はなく、低温でゆっくり湯煎にかければ溶かすことができます。

 6月は、直売所にアカシアの新蜜が出荷されます。花の種類によってハチミツの味も大きく異なります。一番人気の「アカシア」はもちろんですが、その後に咲く独特の風味の「栗」や「黒花槐」もお勧めです。自分好みの味を探してみるのも楽しいのではないでしょうか。

地域食文化と雪国山菜

 南魚沼の山菜の最盛期は、例年ゴールデンウィークの頃ですが、今年は雪が少なく山菜のピークが2、3週間早いというような状況です。

 「四季味わい館」では、地元の山菜を雪国山菜の名前で販売しています。豪雪地域で育った山菜は灰汁が少なく、上質なものであるということをもっと県外の人にも知ってもらいたいという思いからです。
 山菜に関しては全国各地域で食べられている物が少しずつ異なり、地域独特の食文化を考えるとき非常に面白い食材です。
 たとえば、アイコと呼ばれるイラクサの仲間は、この地域では、食べる習慣がありませんが、山形、秋田などでは、山菜の王様だそうです。
 また、南魚沼では、山菜と言えばキノメですが、他県だけでなく新潟県内でも食習慣がある地域は、少ないようです。木の芽というと関東では、山椒のことを指し、山菜キノメの存在は、ほとんど知られていません。雪の降らない地方で食習慣がないのは、灰汁が多すぎて食べられないからではないかと思います。キノメは、生たまごと醤油で食べるのもいいですが、ジャコ、ごま、刻み海苔と一緒にご飯に混ぜたキノメご飯がおすすめです。ほんのりとした苦みが春の訪れを感じさせてくれます。

 首都圏からのお客様には、ふきのとう、タラの芽、コシアブラが人気です。以前、東京からクルマでいらっしゃったというお客様から、「春には、ここによってコシアブラを手に入れ、帰りに水沢でうどんを買って、家で天ぷらうどんをつくる。」というお話を伺いました。
 とてもすてきな旅のプランではないでしょうか。

【ゆきあかり通信】藤田嗣治の描く“素晴らしき乳白色の肌”

【ゆきあかり通信】藤田嗣治の描く“素晴らしき乳白色の肌”
道の駅南魚沼のブログ、第二回目のテーマは藤田嗣治です。
映画「FOUJITA」が大絶賛で今話題の藤田嗣治ですが、簡単にご紹介するとピカソに才能を讃えられ、フランスで最も成功した日本人画家です。

藤田といえば裸婦像が有名ですが、1922年に『寝室の裸婦キキ』が発表されると、「素晴らしき乳白色の肌」と西洋画壇に大絶賛され一大センセーションを巻き起こしました。藤田の代表作であるこの絵をきっかけに、藤田は一躍パリ派を代表する画家になりました。『寝室の裸婦キキ』はピカソら巨匠の絵と並び、パリ市立近代美術館に展示され世界中の人々を魅了してきました。
また、1923年の作品『裸婦』に見られる、白く透き通った肌の質感は「美術史において初めて肌の描写を芸術にした」と称賛されるほどのものでした。

藤田はピカソのアトリエで見たルソーの絵画に衝撃を受け、独自の画風を追及し、試行錯誤を繰り返しました。そこで参考にしたのが、小さい頃から好きだった北斎をはじめとする浮世絵です。極限までデフォルメされた輪郭線や、なめらかな墨の描き方からもそれがうかがえます。

また、一見すると平面的に見える肌ですが、近年の化学調査でベビーパウダーの原料であるタルクを使用していることが分かりました。タルクを肌部分にのみ使用することでテカリを抑え、温かみのある独自の質感を表現したのです。現に晩年彼のアトリエから多量のタルクが発見され、また土門拳が撮影したアトリエの写真にもタルクが写っていました。

そして白い肌を際立たせる繊細な輪郭線は、浮世絵にも用いられている面相筆を使用しました。面相筆は元々細く描ける筆ですが、藤田は更に筆の中に針を仕込むことで、極細の線を均一に引いていました。実はここにもタルクが重要となってきます。というのもそのまま墨を描いたのでは、水性の墨ははじかれてしまうため、タルクを使用することで油絵の上に墨を置くことを可能にしました。こうして藤田の代名詞である「乳白色の肌」が確立されたのです。

6月15日(水)まで今泉記念館アートステーションで開催されている企画展「藤田嗣治とヴラマンク生誕記念展~パリ派と野獣派~」で藤田作品を展示していますが、中でもおすすめは『横たわる二人の裸婦』です。
残念ながらこの作品は銅版画ですが、藤田は繊細な描線を出しやすい銅版画に好んで取り組み、油絵や素描では表せない独特の表現を見ることができます。

また、この作品に出てくる黒髪の女性は、藤田を一躍有名にした『寝室の裸婦キキ』のモデルのキキ(本名アリス・プラン)です。キキはパリ派の画家たちに大人気で、パリで行われた美人投票で女王に選ばれ、「モンパルナスの女王」と呼ばれていました。

藤田は「私の体は日本で成長し、私の絵はフランスで成長した」と述べているように、藤田の裸婦像は日本人としての繊細な感覚や、ピカソたちとの交流などパリでの経験とが合わさって生まれた日本と西洋との融合作品とも言えるのではないでしょうか。
また、面相筆と墨があるアトリエが描かれた『自画像』も展示しています。この機会にぜひ藤田作品をご覧下さい。

【ゆきあかり通信】日本酒の種類

道の駅南魚沼のブログの第一回です。

道の駅雪あかりを通じ南魚沼の自然、文化、食など、広く紹介していきたいと思いますのでよろしくお願い致します。

第一回のテーマは、日本酒です。

南魚沼の名産品としてお米と並んで有名なのがお酒です。
市内には、日本酒の酒蔵が3社とワイナリーが1社あります。道の駅の直売所でもこれら南魚沼の地酒を取り扱っているのですが、そこでお客様からよく質問されるのが日本酒の「本醸造」「純米酒」「吟醸酒」の違いです。

今回は、この違いについて簡単に説明したいと思います。
「本醸造」「純米酒」「吟醸酒」といった名前の付いたお酒を特定名称酒といいますが、これらの違いは、精米歩合の違いと醸造アルコール入りかどうか、そして吟醸造りという製法をとっているかの3点で決まってきます。
精米歩合とは、お米を削る割合のことです。お米の芯にある心白という部分を削ることでお酒は、よけいな雑味がなくなっていきます。お米を削るほど雑味のないすっきりしたお酒になっていくことになります。

次に、純米づくり(米、麹、水のみで造る)か、醸造アルコールが添加されているかの違いです。
添加の目的は、醸造アルコールを入れると、お酒の香りを引き出すことができ、味は淡麗ですっきりとしたものになります。
一方で純米酒は、どっしりとしたコクのある味になります。
純米づくりか醸造アルコール入りかの選択は、それぞれの好みの問題ということになります。
3つ目の吟醸造りは、低温でゆっくり時間をかけて発酵させ、「吟醸香」とよばれる特有の芳香を生じるよう醸造する製法です。

以上のことから「本醸造」「純米酒」「吟醸酒」というお酒の種類が決まっていきます。
下に特定名称酒の区分を表にしてみましたので参考にしてください。
特定名称酒は、値段に関わらず自分の好みが重要です。色々試して自分の好みを探してみてください。

日本酒表